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メゾンと歴史ある美術館による芸術的・文化的な提携を開始しており、そして時計も登場する。

ヴァシュロン・コンスタンタンは、世界で最も立派かつ重要な美術館のひとつであるニューヨークのメトロポリタン美術館と新たなパートナーシップを結んだことを発表した。ヴァシュロンとメトロポリタン美術館は、教育と芸術の両面の取り組みで協力し、将来の世代のために知識を深めるとともに、非常に興味深い時計に関する未来のコラボレーションを約束した。

ヴァシュロン・コンスタンタンの創業は、1755年9月17日にジャン=マルク・ヴァシュロン(Jean-Marc Vacheron)によって交わされた契約から始まる。その契約文書のなかで、ジャン=マルク・ヴァシュロンは5年間にわたって若い弟子に自分の芸術を教えることを約束した。現在、ヴァシュロンのウォッチメイキングの核となる技術は40程度あり、その培ってきた技術は、何十年にもわたって絶えず再考、適応、改良され、前の世代によって開発された芸術性と技術に依存しているとメゾンは述べている。しかしそれ以上に、ヴァシュロンには “One of Not Many Mentorship Program”というものがあり、音楽を含む芸術分野全般にわたって広く知識を伝えている。

それならばヴァシュロンが、年間を通じて2万9000以上の教育イベントやプログラムを開催するザ・メットと提携することは理にかなっているように思う。またブランドは、今回の新たな提携をとおして、ふたつの教育機関が協力し合いながら、より多くの教育的イニシアチブを将来的に展開していくことを明言しているが、それらのプログラムがどのようなものになるかについての詳細は不明である。中学生を対象としたエナメルワークショップとか? それとも時計製造技術を体系化し、ある種恒久的な展示をするのか、はたまたこの時代の時計製造の長期的な記録とするような、時計仕上げのプロジェクトが登場するのだろうか? あなたの推測は私と同じくらい正しいので、ぜひコメントに寄せて欲しい。

ヴァシュロン・コンスタンタンCEOのルイ・フェルラ(Louis Ferla)氏と、ザ・メットのマリーナ・ケレン・フレンチ・ディレクターであるマックス・ホライン(Max Hollein)氏。

この発表についてもう少し調べてみると、ザ・メットとのパートナーシップによっていくつかの腕時計が誕生することは確実だった。それらは、ヴァシュロンの“ルーヴルコレクションへの入札”オークションや、今年初めに取り上げた“ピーテル・パウル・ルーベンスへのオマージュ”で目にしたような、ユニークな時計に似たものになると予想している。

いずれの場合も、顧客はヴァシュロンのレ・キャビノティエ工房の職人の助けを借りて、お気に入りのルーブルコレクションの作品を自分だけのユニークな時計に仕上げることができた。またそれに続く“メティエ・ダール 偉大な文明へ敬意を表して”コレクションでは、4つのデザインの時計がそれぞれ5本ずつシリーズ化された。美術館とのパートナーシップから生まれる時計デザインの幅広さを示したのは、実はこれらの時計だった。

2020年のときと同じように、私はザ・メットとのパートナーシップから何が生まれるか想像し始めた。プログラムは今のところ、コレクションのなかでメットが所蔵する最も有名な作品を避けている。ヨハネス・フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』は除外されているし、フィンセント・ファン・ゴッホの『麦わら帽子をかぶった自画像』もそうだ。エマヌエル・ロイツェの『デラウェア川を渡るワシントン』はちょっとありがちかもしれない。そして正直に言うと、私はほとんどの時間をメトロポリタン美術館のアメリカ館でハドソン・リバー派の絵画を見て過ごすことが多い。

私がこれらのアーティストを愛しているからといって、素晴らしいミニチュア(時計)と同列に扱われるわけではない。実際、時計の文字盤にするために選ぶアートとしては不適切である。あまりにも壮大で、細かすぎるのだ。アルフレッド・ウィリアム・ハントの『4月の雹を伴う嵐の後のスノードン山』なら、ミニチュアの柔らかな風景画になるかもしれない。少なくともフレデリック・エドウィン・チャーチの『アンデスの中心』よりはいいだろう。もしユーザーのどなたか、私を喜ばせてくれるような作品を依頼したいと思っているのならチャールズ・シュレイフォーゲルの『私のバンキー』をおすすめしてもいいだろうか? それは絵画の“アクション”の感覚を維持しながら、小型化するのに十分なダイナミックさがあるように思う。いずれにせよ、このプログラムがどんな作品を生み出すのか楽しみだ。

ローザンヌの湖畔に面したスイス屈指の高級ホテル、ボー・リヴァージュ。

静謐な歩廊を飾るアートや高級品のなかでもひと際目を引くのがパルミジャーニ・フルリエのタイムピースだ。歴史に培われ、タイムレスな気品漂う空間で同じ価値観を共有する。伝統を現代に継承するという点ではこれほどふさわしい時計はないだろう。それもブランドの原点は、時計師ミシェル・パルミジャーニ氏が1976年に設立した修復工房にあるからだ。

時が止まってしまった古の時計を当時のままに復元するその天才的な技は、すぐにサンド・ファミリー財団が注目した。スイスの製薬大手のサンド社を背景にした財団が所有する歴史的な時計やオートマタの修復管理責任者に任命されたのだ。ミシェル氏は修復の仕事のかたわら自身で時計作りにも専念していて、1996年にパルミジャーニ・フルリエを設立。これを支えたのもやはり同財団で、先のボー・リヴァージュもその傘下にある。

こうした絶大なバックアップにより、2000年以降、パルミジャーニ・フルリエは独立系ブランドとして垂直統合の生産基盤を整えた。企画開発の本丸であり、いまも修復部門を持つ本社に加え、ケースのレ・アルティザン・ボワティエ、文字盤のカドランス・エ・アビヤージュ、ムーブメントパーツのアトカルパとエルウィンといった専業メーカーを統合し、特にパルミジャーニ・フルリエからムーブメントの開発製造部門が独立したヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエは名だたるスイス高級時計のムーブメント開発を担い、広く知られている。

これらの特化した専門技術を持つ拠点で内製化することで、独創的な技術開発と高い品質レベルを維持し、ジャストインタイムの生産を図る。しかもそれぞれが他ブランドにも生産供給することで、幅広い技術とノウハウの研鑽と安定した経営基盤を築く。こうした理想的なマニュファクチュール体制によって、パルミジャーニ・フルリエのオリジナリティは生 まれているのだ。そしてその根底にあるのは、修復で学び、その技と精神を現代に伝える創業者ミシェル・パルミジャーニ氏の創造性に他ならない。

スイス時計の隆盛とともに大きな変革期を迎えるなか、パルミジャー ニ・フルリエにも新たな歴史が始まった。ブランド誕生25周年に当たる2021年、グイド・テレーニ氏のCEO就任だ。20年以上に渡ってブルガリの時計部門を牽引し、垂直統合の生産体制始め、本格ウォッチメイキングの軌道を敷いた。その辣腕が発揮されたのが、リローンチした「トンダ PF」だ。

ベーシックな3針は36mmから40mmというユニセックスやヴィンテージ感ある程よいケースに、ベゼルには細密なローレット加工を施す。これはモルタージュとも呼ばれ、ギリシャ建築の柱から着想を得た、ブランド黎明期から続く手彫り装飾だ。さらにケースから伸びた雫型のラグには、自然界の生み出した神秘の美であるフィボナッチ数列による曲線を用いる。そして文字盤にはバーリーコーン(麦の穂)パターンのギヨシェが施され、インデックスとロゴのみにそぎ落とされたミニマルなフェイスに美しさが際立つ。

こうしたブランドの象徴的な意匠を、クラシックではなく、一体型ブレスレットを備えた現代的なスタイルを組み合わせた。それもパルミジャーニ・フルリエをよりモダナイズし、新たなラグジュアリーを打ち立てようというテレーニ氏の挑戦である。

2022年に発表されたトンダ PF GMT ラトラパンテでは、現代的な実用機能であるGMTを搭載する。時針はロジウムメッキのゴールドとローズゴールドの2本を重ね合わせ、その1本を時差に合わせて8時位置のプッシュボタン操作で1時間毎に進ませ、異なるふたつの時間を表示する。リューズと一体になったプッシャーを押せば、針は瞬時に重なり、その存在も感じさせない。通常ラトラパンテはクロノグラフの機能を差すが、ここではトラベルタイムを意味するのである。

これに続き、今年発表されたトンダ PF ミニッツ ラトラパンテはよりユニークな機能だ。GMTが時針だったのに対し、2本の分針を重ね合わせ、ケース左側面の8時位置のプッシャーで5分、10時位置のプッシャーで10分毎に1本の針を進ませる。針はそこに止まり、カウントダウンを計時する。そしてリューズと一体になったプッシャーを押せば、再び針が重なるスプリットミニッツである。

いわゆるラグジュアリースポーツと呼ばれるスタイルではあるものの、より洗練を極め、独創的な実用機能を内に秘める。特別な複雑機構を備えながらも、ひけらかすのではなく、必要なときにだけ現れるアンダーステイトメントな表現手法は、まさにクワイエットラグジュアリーと呼ぶにふさわしい。 パルミジャーニ・フルリエは、先人の叡知を注いできた時計が時にはアートのように寄り添ってきたことを思い起こさせる。修復を通して学んだその文化と価値を受け継ぎ、現代からさらに未来に繋げんとする意思が唯一無二の存在とさせるのだ。

ユリス・ナルダンのアイコンにして“異形”の傑作、フリーク。

今回のイベントは15名のみのエクスクルーシブなイベントとなったため、応募いただいたものの参加が叶わなかったという方もいるのではないだろうか? そんな方たちのために、まさにフリーク尽くしとなったイベントの様子を、ほんの少しだがお届けしよう。

関口 優と和田将治のふたりが、フリークコレクションの誕生から現在に至るまで、注目すべきマイルストーンをナビゲートした。

スライドを交えながら、フリークコレクションの誕生に関わった4人の重要人物の存在や、秘められたテクノロジーなどフリークの魅力を解説。そしてイベントに参加された方だけに裏話も披露した。

時計界に大きな足跡を残した、異形の異端児

初代フリーク(2001年)。古典的な複雑機構「カルーセル」を掘り起こし、時計界初となるシリコン(シリシウム)の採用、従来の時計とは異なる前衛的なスタイルでセンセーションを与えた。

文字盤がない、針がない、そしてリューズがない。その名が示すとおり、フリーク(=異例、異形)は、従来の腕時計のスタンダードから逸脱した、まさに名は体を表す腕時計として2001年に誕生した。もちろん、そのスタイルもそうだが、フリークが何より革新的で挑戦的であったのは、単にそのデザインがアバンギャルドであっただけでなく、時計業界に大きな影響を与えた点にある。

ひとつは歴史の陰に埋もれていた古典の機構を掘り起こし、進化させたセンターカルーセル機構だ。これはテンプを含めたムーブメント自体を回転させ時刻表示する機構で、キャロル・フォレスティエ=カザピ女史(1997年に考案)のコンセプトを元に、ルードヴィッヒ・エクスリン博士の手によって実現化した。古典的な機構に着想を得て進化させる。機械式ならではのムーブメントに価値をみいだし、マニュファクチュールの優れた技術力と独創性を世に知らしめるという試みは、時計業界を活気づけた。

またセンターカルーセル機構の実現において、輪列やテンプ、脱進機が載る大きく重い分針を動かすために、フリークはエネルギー効率に優れた新しいデュアルダイレクト脱進機を搭載したが、これには軽量化と超精密加工が必須。そこで脱進機に時計界で初めてシリコン(シリシウム)が用いられた。今では多くの時計ブランドが使用するシリコンパーツだが、これをいち早く実用化したのがフリークだったのだ。

フリーク ワン(2023年)。文字盤・針・リューズのない初代モデルにインスピレーションを得ながら、最新技術を盛り込んだフリークの最新形。2023年のGPHGでアイコニックウォッチ賞を受賞した。

その後もフリークは、新技術・新素材の実験場として、斬新なデザインのキャンバスとして進化を続けることになるが、イベントではその革新と挑戦の歴史の一端を読者の皆さんと共有した。フリークのことをもっと知りたいという方は、記事「Identity of the Freak: ユリス・ナルダン フリーク 進化の系譜をたどる」をチェックいただくとともに、ぜひとも以下にリンクもご覧あれ。

フリークの歴史を知る

シリシウムテクノロジーとは?

トークイベント終了後はコレクターミーティング、そして待望のタッチ&フィールへ

フリークの歴史を振り返るトークイベント終了後は、来場して下さった読者の皆さんと編集部も参加してのコレクターミーティングの時間に。そして、なんと言っても目玉のコンテンツは、歴代フリークのタッチ&フィールだ。2001年に発表された初代フリークをはじめ、マイルストーンとなった歴代モデル(一部)から現行のフリークコレクションが並べられ、そのすべてが実際に触って着用することができる。フリークコレクションはユリス・ナルダンのアイコンともいえるモデルだが、製造数は決して多くはなく、どの時計店でも扱っているようなコレクションでもでもないため、実機を実際に見ることができるまたとない機会となった。

現行のフリークコレクションも、もちろん実際に触ることができた。実際に時計に触れたことで物欲が刺激され、購入を検討する読者の方も…。

フリークのヒストリーを語る上で欠かせないマイルストーンモデルに触れることができる貴重な時間であったが、多くの読者の方が興味を示していたのは、やはり現行のフリークコレクション。2022に発表されたフリークS(クロノメトリック フリーク)はすでに完売となっているため購入はできないものの、リューズを備えて日常的に使いやすいところが魅力のフリーク X、そして2023年のジュネーブ時計グランプリ(GPHG)でアイコニックウォッチ賞を受賞した話題の新作フリーク ワンも実際に触れるとあって、多くの読者が興味津々の様子だった。

タッチ&フィールで読者の皆さんがフリークを着用している様子を撮影したが、やはり気になるのは、HODINKEEのイベントでは恒例となった来場者のリストショットも、もちろん押さえている。皆それぞれに自身のこだわりが感じられるセレクトで、飽きることなく見ていられた。

さらりとつけたワンショットのマリーン 1846(※)が最高にカッコいい! 実はストラップはシャークスキンのカスタムメイド仕様だという。

※記事公開時、マリーン トルピユールとなっていましたが、ご本人様よりワンショットのマリーン 1846であるとご指摘いただき修正しました。ありがとうございます!

約2時間のイベントは、あっという間に時間が経ってしまったが、濃密な時間を読者の皆さんと過ごすことができた。また近いうちに、読者の皆さんとお会いできる日が訪れることを願っている。

ロレックス “RCO” ポール・ニューマン デイトナ、ペンキまみれのサブマリーナー、

ヴィンテージウォッチの世界で注目すべきもの、そして(記事執筆当時)入手可能なものの一部をお届けしていく。この記念すべき日にふさわしく、今週のリストは市場に出たばかりのオメガのクロノメーターや、初代ファーブル・ルーバ、そして誰もが認める至高のステンレススティール(SS)製ポール・ニューマン デイトナなど唖然とするようなものばかりが揃った。そしてそれだけではなく、画家が愛用したサブマリーナーや、イタリアの空挺部隊が着用したブライトリングにも注目してみて欲しい。

1967年製 ロレックス サブマリーナー Ref.5512
どうしても欲しいものがあるのでなければ、予算が許す限り最高のコンディションを選ぶのが得策だ。不動品のほうがいくらか安上がりで手に入れやすいかもしれないが、保存状態が良好なもののほうがオリジナルデザインの持ち味を余すところなく伝えられるという点で、客観的には望ましい。これは私が年老いて白髪になるまで変わらない持論である。しかし、特別な場合には、また違った考え方が必要になる。ヴィンテージ時計収集の一般的な理屈に反するかもしれないが、この最初の1本は多くの魔法を秘めている。

サブマリーナーと呼ばれる少し古めかしい時計についてはすでにご存じのことだと思う。さて、この時計がなぜこれほどまでに魅力的なのかを説明しよう。思い浮かんだ言葉を口にする前に、その出自について考えてみて欲しい。この時計は、画家が所有し、毎日着用していたものだ。ケース、クリスタル、ベゼル、ブレスレットが絵の具でまだら模様になっているのはそれが原因だ。さらにケースバックには“I LOVE YOU MR BOND, SHARON”という刻印もあり、パーソナルな雰囲気を醸し出している。多くの人にとって、このふたつの要素と、摩耗して補修されたダイヤルの組み合わせは、極めて危険なものに見えると思う。だが、私はこの時計にはユニークな魅力があると思いたい。

私は、リセールや 資産価値を気にすることなく、生涯の大半で着用され、まるで盗難にあったかのような状態になった時計が大好きだ。このような時計は決して美しいとは言えないし、簡単に売却できるものでもないが、新品が持つ美しさにはない人間味がある。貸金庫に何十年も眠っていたものとは違い、これらの時計にはストーリーを伝える傷跡があり、以前身につけていた人たちとの切っても切れない絆が刻み込まれている。私はやはり最高のコンディションのものを選ぶことをおすすめするが、これはそれとは異なる最良の選択だと主張したい。

サザビーズが最新のオンラインセールでこのサブマリーナーを出品している。その見積もり価格は5000ドルから7000ドルに設定されており、あらゆることを考慮すると妥当と思われる。

オメガ クロノメーター Ref.2364
次の時計の出品を見つけたときは、とてもうれしかった。まさに私が思い描くeBayの出品物であり、このコラムが推進するハイ&ローの探究心を象徴するものだからだ。保存状態のいい時計に無名の売り手、写真ではうまく伝わらないが、ひと晩中見ていたくなるような写真……。幸運なことに、偶然にもそれはめったに市場に出回らない素晴らしい時計であり、この出品されたばかりの時計を所有する絶好のチャンスであった。

ご覧いただいているのは、オメガ クロノメーター Ref.2364だ。このモデルがオメガと時計製造全体の歴史において重要なピースであることは、すでにご存じのことだろう。その重要性の理由は、もちろんスモールセコンドを搭載した17石のCal.30T2RGにある。同ムーブメントは、このモデルに初めて搭載された。オメガはこのキャリバーでピリオドクロノメーターのコンクールで大成功を収め、その卓越した性能に全力を注いでいたことはCal.30T2RGの仕上げを見ても明らかである。私の考えでは、このリファレンスの最も魅力的な個体はSS製ケースのものであり、非貴金属からでも途方もない美しさを生み出せることを証明している。

ケース番号は見えないかもしれないが、これは1941年のものだと推測される。80年近い歳月を経ているにもかかわらず、この時計に見られるのはわずかな磨耗だけで、優美に時を刻んでいる。これはツートンカラーのダイヤルを見ればよくわかることで、インダイヤル内側のわずかな傷と、トーンを隔てるリングの周囲にあるわずかな粒子を除けば、傷ひとつないように見える。私がこれまで見てきた、黄ばんだり、傷んだり、研磨されすぎたりしているものと比べると、この作品にはそれだけの価値がある。

このオメガはeBayのオークションに出品され、土曜日の夕方に終了する(執筆当時)。現在、最高入札額は4949ドルとなっている。

ファーブル・ルーバ ディープブルー Ref.59603
このコラムを書くようになってから、より多くの時計を扱わせてもらえるようになった。コレクター仲間の手首にあるものや展示会のブースで初めて目にするものなど、記事にする前に特定の作品について予備知識を得ておくのは、当然のことながらとても素晴らしいことだ。このことを念頭に置いて、今回は私が少し前に出会った珍しいダイバーズウォッチを紹介しよう。この時計には型破りなデザインがふんだんに盛り込まれている。きっと満足のいくものだと思う。

この時計を最後に見たのは、パンデミック前の時期に出席していたコレクターの集まりで、これを出品していた個人が納品に来たときだった。ファーブル・ルーバのディープブルーの初期型であるというこの時計は、私を大いに驚かせた。そうした経緯もあり、この時計はすぐに私の手に渡ることになった。湾曲したダイヤルの文字と、ラジウム夜光の使用を示す小さな文字が施されたこのモデルがRef.59603の初回限定品であることは間違いなく、なかなか見栄えもする。

総合的に見てこの個体は素晴らしい状態で、ダイヤルにはブランパンやその他有名なダイバーズウォッチメーカーの名前はないが、本当にトップレベルのダイバーズウォッチである。ケースはシャープなままで、ベゼルは依然として読みやすく、ひび割れもない。しかし特筆すべきはサンバースト仕上げのダイヤルであり、最高の輝きを保っている。唯一の欠点は、10時位置のロゴの近くに少しシミのようなものがあることだが、それだけでこの時計を追い求める気が失せるほどではないだろう。

ヴァシュロン・コンスタンタン 1930年代のレトログラードカレンダー付きミニッツリピーターを発見。

時計は答えとおなじくらい多くの質問を投げかけてきます。

ここ数年、多くのコレクターにとって紙媒体の学術書がオンラインカタログに取って代わられたことで、オークションカタログの“カバーロット”の概念が少し変わってきています。それでも大手オークションハウス各社は季節ごとに、大きな話題を呼ぶ時計を提供しています。今度フィリップスで開催される、The Geneva Watch Auction: NINEのカバーロットは、間違いなくこのヴァシュロン・コンスタンタンです。では、今見ているのは具体的に何なのか? その答えは複雑です。

フィリップスがこの時計を販売すると発表したのは1カ月ちょっと前のことで、その際は背景、文脈、時計についてかなり詳細なレポートをお伝えしました。それ以来、フィリップスの人たちと話をしたり実機に触れる機会があり、この時計が何なのか、なぜこの時計に意味があるのか、どのような経緯でオークションに出品されることになったのか、少し理解が深まりました。

簡単に説明します。1935年、フランシスコ・マルティネス・ラノ(Francisco Martinez Llano)というコレクターが、マドリードの小売店ブルッキング(Brooking) を通じて、ヴァシュロン・コンスタンタンにレトログラードカレンダーコンプリケーションを搭載した特注のミニッツリピーターを注文しました。1940年代初頭、その時計は南米に住む彼のもとに届けられ、それ以来ずっと家族のもとで大切に保管されていました。この時計の唯一の外部的証拠は、1992年に出版された本に掲載された、1枚の白黒写真のみです。そして昨年、フィリップスのオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏がこの時計を発見し、ヴァシュロン・コンスタンタンと協力して正常に作動する状態まで戻し、正しく資料に記載されました。オークションにも出品されています(もっと詳しく知りたい方は、上で紹介したオリジナル記事をご覧ください)。

この時計の実機を見ると、まるで時計製造のタイムマシンに乗ったかのような感覚に陥ります。この時計のすべてが、長いあいだ忘れられていた日々を思い起こさせるのです。ケース形状、爪の形をしたラグ、12時位置にセットされたリューズ、文字盤に施されたフォントと数字のミックスといった魅力的なデザインは、いずれも現代では真似できない、手作業で時計を製造する特殊な方法を物語っています(ヴァシュロンのような大企業はともかく、どの時計メーカーもそれを再現したいと思うことが前提です)。フィリップスが最初のプレスリリースで指摘したように、ケースコンディションは信じられないほどに良好です。すべてが鮮明で、オリジナルの仕上げは無傷のように見え、ポリッシュホイールの痕跡もまったく見られません。裏蓋のモノグラムからリピータースライドの形まで、すべてが1940年1月にラノがこの極めて珍しいキーパーを引き渡したときと同じように見えます。

さて、“オリジナル”コンディションの時計が、なぜこんなにクリーンかつきれいな文字盤なのか、おそらくあなたは不思議に思っていますよね。現在取り付けられている文字盤は、ヴァシュロン・コンスタンタンがレストアの過程でオリジナル仕様に置き換えたものだからです。オリジナルのラジウム文字盤も付属しており、これを見ればフィリップスとヴァシュロンが発見したものを披露する前に、もう少し手つかずのものを取り付けておきたいと思った理由が想像できるでしょう。ここでもうひとつ注意しなければならないのは、この時計の唯一の白黒写真に写っているダイヤルと針は、実際には別のものが取り付けられているということです。VCの記録によると、この時計にはふたつのオプションが用意されていました。ひとつは写真に写っている夜光がないブレゲ針のようなものを持つドレッシーなバージョンと、もうひとつは大きな夜光数字とはしごスタイルの針を持つ、ややスポーティなバージョンです。

正直に言うと、これはちょっと変な筋書きです。通常、僕たちHODINKEEは、文字盤が交換されていたり、出自が変わっていたり、あまり単純ではない資料が掲載されている時計にはあまり興味がありません。しかしこれは、ヴァシュロン自身が関与しており、ふたつのダイヤルの配送や小売店の署名などを確認するための証跡があると考えると、購入を検討している人は、いざ自分のパドル(入札札)を上げるときに非常に安心できると思います。

さて重要なのは、この時計を身につけるときです。これは夢のようなものです。トノーケースは12時位置のリューズに特によく合います。リューズがケースの右側から突出していないので、すっきりとしたデコ調のラインが楽しめます。スライドは少し出っ張っていますが、非常に繊細で、つけ心地のよさや時計全体の外観には影響しないと思います。ある意味究極のステルス記号でもあるのです。知っている人は知っていて、それが現れると、誰かがかなり真剣な何かを抱えているとわかる。文字盤の文字が比較的密集しているにもかかわらず(小売店のサイン、長いブランドのサイン、レトログラード数字は、かなりのスペースを占めています)、文字がごちゃごちゃしているようには見えません。時計を落札した人が身につけてくれることを切に願います。このようなものを金庫のなかでさらに数十年過ごさせるのは、本当にもったいないことなのです。

結局のところ、今回のような時計の場合、ふたつの可能性が考えられました。ひとつは時計製造の歴史において、非常にユニークな時代を象徴する一生に1度の発見となるか、そしてもうひとつは疑わしい歴史を持つ、慎重に近づくべき奇妙な珍品に終わるかでした。このふたつが組み合わさったと見るのが妥当でしょうが、ヴァシュロン・コンスタンタンはその裏付けとなる事細かな書類を用意しているようです。

来月ジュネーブで、これのためにパドルを上げるコレクターは、自己選択的なグループの一員だと思います。なぜこの時計が特別なのかを理解するにはかなりの洞察力が必要ですし、そもそもこれに興味を持つポイントに到達するには、すでに相当数の経験を積んでいる必要があります。そして、もしそこに到達したなら、どのチェックボックスにチェックが入り、どのボックスがクエスチョンマークのままになっているのか、自問する必要があります。最後の部分については個人差があるかもしれませんが、僕はそこがはっきりしません。

この時計にどのような関心が寄せられているのか、週末のオークションでどれほどの熱気に包まれるのか、非常に興味があります。僕たちはフィリップスおなじみの、ちょっとした演劇やスペクタクルが見られると確信していますし、ハンマーが落ちたときには非常に興味深い結果になるはずです。

フィリップスのThe Geneva Watch Auction: NINEオークションは、2019年5月11日土曜日にジュネーブで開催されます。このヴァシュロン・コンスタンタンはロット109で、推定40万スイスフランから80万スイスフラン(当時の相場で約4390万~8775万円)です。このセールの全カタログはこちらからご覧いただけます(編集部注:結果74万スイスフラン、当時の相場で約8120万円にて落札)。